サイエンス

一人ひとりのがんに最適な医療アプローチを!

がんを克服するために、ゲノムデータに基づくパーソナライズ医療を選択した 1 人の男性が、高精度治療の推進に取り組んでいます。

ブライス・オルソンがステージ 4 の転移性前立腺がんの診断を受けたのは 2014 年のことです。彼は、摘出手術、化学治療、ホルモン治療による従来の「標準治療」を受け、病気と闘ってきました。こうした治療によってがんの進行は食い止められたものの、副作用は深刻で、彼の「 (Quality of life=QOLとも略される用語で、身体的な苦痛を取り除くだけでなく、精神的な活力、満足を伴う社会生活を送れるかどうかの尺度) は大幅に低下してしまいました。

その後、がんはさらに大きくなって再発。彼は、強すぎる副作用や不必要な化学療法による弊害が発生しない、新たな標的型アプローチに切り替えることを決意しました。それが、分子に基づく高精度医療です。

ゲノムまたは腫瘍配列の解明作業として知られるがんの分子診断は、高精度医療と呼ばれる新時代の医療を支える要素の 1 つです。この医療アプローチは、がんのゲノム配列、病歴、生活様式などを考慮し、患者一人ひとりのニーズに合わせて治療を施す試みです。

オバマ大統領は、2015 年 1 月に高精度医療イニシアチブを打ち出した際、「高精度医療は、これまでの医療の進展に、さらに大きな一歩を踏み出す絶好の機会になる」という声明を発表。すでに何人かの命が救われていると評価しています。実際、白血病の患者は、特定の遺伝子を標的とする新薬によって、白血球の数が正常値まで回復。また、HIV の遺伝子検査により、医師は新しい抗ウイルス薬の正しい選択ができるようになっています。

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すべての患者に 1 つの手順で対応しようとする画一的な治療モデルから、よりパーソナルな治療へと進化する中、高精度医療に対する関心も高まっています。それに伴い、費用と処理時間も大幅に減少。20 年前に初めて成功したヒトゲノムの配列解明には、13 年の月日と約 30 億ドル (約 3,100 億円) の費用がかかりましたが、現在では、処理時間はおよそ 1 日、費用は約 1,000 ドル (約 10 万円) です。

しかし、多くの患者は、ゲノム解析が使えるという事実を知りません。

「医療機関は、病気を進行させる要素を明らかにするための診断試験を積極的に行おうとしません」とオルソン。彼は、診療に忙殺されて時間のない開業医や、がん専門医の遺伝学に対する知識の欠如、保険範囲に関する誤解 (例えば、オルソンの受けた DNA 解析法が保険の対象となることを知らない) など、その背景にあるさまざまな実態を指摘します。

がんを扱いやすい病気に

オルソンは、高精度医療によって、がんが扱いやすい病気になることを望んでいます。この夢は、ゲノム配列の解明によって、彼が生きているうちに実現するかもしれません。なぜなら、彼自身がこれまでに奇跡を起こしているからです。

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がん発症時、オルソンはまだ 44 歳でした。がん協会 cancer.org が想定する前立腺がんの平均発症年齢より 20 歳以上若いにもかかわらず、がんはすでに転移しており、5 年生存率はわずか 28% とされていました。

「医師は、私の前立腺がんはこれまで見た中で最も進行が早い症例の 1つだと言いました。自分が21 カ月以上生きられるとは思っていませんでした」と振り返るオルソンは、インテルのグローバル・マーケティング・ディレクターであり、夫であり、父親でもあります。

数十年前に開発された「標準治療」のやり方に満足していなかった彼は、がん研究と治療の国際的リーダーであるオレゴン健康科学大学 (OHSU) のナイトがん研究所を訪ね、腫瘍を分析してもらうことにしたのです。

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「その結果、私のがんは、細胞を使用していることが分かりました。標準治療では標的とされていない経路でした」とオルソンは語ります。

こうして DNA データを手に入れた彼は、その後ロサンゼルスで、自身のがんに適合すると思われる臨床試験と出会います。臨床試験は進行がん患者ですでに定員に達していましたが、試験対象の薬品ががんの進行抑制に完璧に適合することを示すゲノム配列データを持つ患者は、オルソンただ 1 人だったのです。

試験実施機関が彼を被験者に追加してから 16 カ月。その臨床試験のおかげで、余命宣告から 5 カ月が経過してもなお、オルソンは生きています。しかも現在、彼のがんは活動の兆候を全く示していません。

データの共有

高精度治療の目標の 1 つに、データの共有があります。データを共有すれば、例えばクリーブランドの医師がヘルシンキの医師の治療成果を学ぶことができます。

現在、オルソンのデータはコラボレーティブがんクラウドにアップロードされています。これはインテルとナイトがん研究所が共同開発した高精度医療分析プラットフォームです。医療機関は、このクラウドによってゲノム配列、画像、臨床データを安全に共有し、がんの根本原因について理解を深め、命を救うヒントをいち早く発見できるように努めています。

そのためには、膨大な量のデータを保管し、移動しなければなりません。

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完全な DNA 情報であるヒトゲノムには、2 本 1 組のより糸のような染色分体 (DNA 画像にあるねじり合うリボン) で構成される分子が含まれています。1 人の人間のゲノムには、約 30 億の塩基対があり、すべての細胞核には 23 対の染色体が存在します。また、それぞれのゲノムには約 30,000 個の遺伝子が含まれています。

「現在までに、数千のがんゲノム配列が解明されています」と語るのは、ナイトがん研究所のディレクターを務めるブライアン・ドラッカー博士です。博士は、がん細胞を死滅させつつ健康な組織には害を与えない初の分子標的治療薬 Gleevec (グリーベック) を開発した研究者です。

「今後、がんゲノムの解明数をさらに 100 万以上まで増やす必要があります。しかし、収集して並べ替えなければならないデータは極めて膨大です。がんで何が起こっているかを明らかにするには、途方もない規模の演算パワーが必要なのです」と博士。

つまり、この膨大な量のデータを分析して保管するだけでなく、分析も行うことができるテクノロジーが必要です。すべての DNA データをつなぎ合わせて整列させ、通常の細胞と腫瘍細胞を比較し、それぞれの患者のがんを進行させる要因を分子レベルで特定する必要があるのです。

世界最大級のゲノム研究センターであるブロード研究所は、この研究市場で 2025 年までに年間 1 ゼタバイト (10 垓バイト) のデータが生成されると予想しています。

このため、業界はビッグデータを管理する新たな方法を必要としています。

インテル・ヘルス & ライフサイエンス・グループのマネージャー、エリック・ディッシュマンは、昨年、上院議員小委員会で高精度医療について説明。患者への手厚い医療を実現するために、テクニカル・インフラストラクチャーを構築し、マルチスレッド (1 つのプロセスを複数の処理単位に分けて並行処理すること) の統合を図る必要があると指摘しています。

「行動の変革と患者へのエンゲージメントが重要です。自分と家族の治療において個の意思を尊重する必要があります」と語るディッシュマンは、インテルの従業員を対象としたコネクテッド・ケア・プログラムの開発をサポートしています。

国立保健研究所の高精度医療イニシアチブ (PMI) コホートプログラムのディレクターを務めるディッシュマンは、 19歳 のときに 2 つの珍しい腎臓疾患を患った経験があります。その後、高精度医療に切り替え、2012 年に腎臓移植を受けたことで、がんを克服しています。

高精度医療が普及すれば、治療は迅速かつ容易になるはずです。

インテルの「All in One Day」キャンペーンでは、患者が来院して医師の診断を受け、自分だけのパーソナル治療プランを受け取って帰ることができるエコシステムの確立を目指しています。

「2020 年までに必ずやり遂げるべき事業だと思います。病気にかかったら、DNA で病気を発見して診断し、24 時間以内に標的治療プランを立てなければなりません」」とオルソンは説明します。

原因を抱える患者

オルソンは、高精度医療によってがんの克服を支援したいと考えています。その最初のステップが教育だとして、こう指摘します。

「私は進行がん患者に常に語りかけています。ゲノム解析のことを知っている患者が 1 人もいなかったからです。あるいは、それをやりたいと思うほど十分な知識を持っている患者がいなかったからです」。

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遺伝子データがあれば、患者は NCI MatchCure Forward などの組織に依頼して、それぞれのがんに適した治療薬を探し当てることができます。

「マッチングサイトなどにアクセスして、新薬の臨床試験に参加することもできます」とオルソン。

彼は、音楽をテーマとする募金団体 FACTS (Fighting Advanced Cancer Through Songs:音楽を通じて進行がんに立ち向かう) を立ち上げて認知を広げ、金銭的なサポートを必要とする進行がん患者が分子診断を受けられるように支援しています。

最初の治療が終了したときに、彼は忘れていたギターを手にして弾いてみました。すると、不思議なことに自分自身の死に立ち向かう気持ちを整理できたのです。

このことをきっかけに彼は曲を書き、音楽仲間とアルバムをレコーディングしました。ここに参加した米ポートランド出身のインディー・フォークロック・バンドThe Decemberists のジェニー・コンリー氏も、乳がんの治療に取り組んでいます。

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オルソンは現在、がんと闘っているシンガーをリードボーカルに迎え、2017 年 1 月にはアルバムを発表したいと考えています。

「がんを抱える人々が最先端の診断を受けるための資金を確保したいのです。参加者が多いほど、大きな力になります。これが完成すれば、がん克服者が作曲し、がんと闘うアーティストが歌う、僕たちのファーストになるでしょう」とオルソン。

アルバムの収益金と個人・企業からの募金は、医療研究のための非営利クラウドファンディング・プラットフォームである Consano に寄付されます。オルソンは、2017 年には募金団体 FACTS を FACTS Festival へと発展させ、世界最高峰の野外音楽フェスとして知られるコーチェラ・フェスティバルのように、毎年恒例のイベントにしたいと考えています。

使命感に燃えるオルソンは、「私は余命 5 カ月の宣告を受けました。でも、死ぬにはまだ早いみたいですね。この先もやることがたくさんありますから」と語っています。

 

※文中に記載の金額は、日本語原稿執筆時の為替レートで計算しています。

 

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